映画化された伊坂作品
作家デビュー20周年を迎えた伊坂幸太郎氏。本当に数々の名作を残した作家さんだと思う。小説を読まない方でも、映像化された作品が多々あるので、ああ、この映画の原作なんだ!と思い当たる人も多いかもしれない。例えばこちら。
ゴールデンスランバー
仙台に凱旋パレード中に首相暗殺事件が発生。容疑者に仕立てあげられてしまう宅配ドライバー青柳が逃亡を続けるというストーリーの『ゴールデンスランバー』。堺雅人主演の逃走劇が話題になった。
アヒルと鴨のコインロッカー
青春ミステリーの『アヒルと鴨のコインロッカー』。椎名(濱田岳)は大学入学のために仙台に越してきたのだが、隣人の河崎(瑛太)から『書店を襲わないか?』と奇妙な計画を持ちかけられるところから物語は始まっていく。じょじょにめくられていく河崎の複雑な内面や、その思いに涙した人も多いはず。青春ミステリーの傑作と名高い作品。
グラスホッパー
生田斗真主演の『グラスホッパー』。生田斗真演じる鈴木は恋人を殺した犯人への復讐を誓い、裏社会の組織に潜入し、その機会を伺っていた。ナイフ使いだったり、押し屋だったり、独特なキャラクターの殺し屋が登場し、いい意味で現実離れしていて、楽しめる作品。この辺りが伊坂作品で映像化されたうちのオススメだ。
【新刊】伊坂幸太郎氏 “ 逆ソクラテス ”
そして20周年を迎えた伊坂幸太郎氏の新刊『逆ソクラテス』を読破したが、原点回帰というか、とにかくスッキリ爽快の勧善懲悪モノストーリー。伊坂幸太郎氏の作品に通じて感じるのはとにかく〝スッキリ〟だ。あるべきところにあるべきモノが配置される感覚の読後感がずば抜けている。
逆ソクラテスを含む全5篇の短編集で、全てのストーリーの主人公が小学生。ソクラテスと言えば「無知の知」だ。つまり、「無知を自覚している」という事だが、その逆って話。簡単に言えばわからず屋の大人V S小学生みたいなお話。
他4篇もすべて感嘆するほどスッキリできるお話。世界がこうあれば本当に素敵なんだろうなと思える。
そして伊坂幸太郎氏のもうひとつの魅力は登場人物のキャラクター。突拍子もないキャラや愛すべきキャラ、本当に様々なキャラが登場する。まったく違うんだけど、どこかONE PIECEを彷彿させる部分がある。それこそ、普段小説を読まない方でも漫画のように読めてしまう伊坂作品をオススメしたい。
小説初心者にお薦めしたい伊坂作品
3位 マリアビートル
新幹線の中を舞台に5人の殺し屋の思惑が交錯しながらストーリーは進んでいく。酒浸りの元殺し屋木村、狡猾な中学生王子、腕利きの2人組、蜜柑と檸檬、運の悪い殺し屋七尾。
それぞれの視点で語られるのだが、特に文学好きの蜜柑と機関車トーマスを溺愛する檸檬の殺し屋コンビが可愛すぎる。グラスホッパーの続編という位置づけなので、グラスホッパーを先に読んでからだとより楽しめる。
2位 陽気なギャングが地球を回す
演説の達人、響野。とにかく事あるごとに演説を打つが、そのほとんどがデタラメ。口八丁で世を渡っていく。普段は喫茶店を経営。
他人の嘘を見抜けてしまう人間嘘発見器、成瀬。その能力ゆえ恋愛に失敗したり苦い過去が多々ある。普段は市役所勤めの冷静沈着、かつ用意周到な性格。
自然と動物をこよなく愛する天才スリ師、久遠。青年らしい呑気さで、人間よりも動物を優先順位の上に持ってきている。
コンマ1秒単位の性格な体内時計を持った雪子。若い頃から盗難車を夜な夜な走らせていた経験を生かしたドライビングテクニックはピカイチ。運転手役をこなす。この4人がルパン一味のようにそれぞれの役割をこなし、銀行強盗を計画する。
1位 オーデュボンの祈り
コンビニ強盗の伊藤は気づいたら見知らぬ島にたどりついていた。江戸時代以来鎖国しているという〝萩島〟。島には何を聞いても嘘しか言わない画家や、拳銃を所持しており島で唯一殺人を許された男など珍妙な人たちばかりが住んでいた。
そして、物語の鍵を握る人語を操る案山子(カカシ)。この案山子は未来を見る事ができるのだが、伊藤が島に来た翌日、バラバラにされ頭を持ち去られていて死んでいた……。案山子の死と『この島には、大切な物が最初から欠けている』という謎の言い伝え。真相を追う伊藤の数日間の物語。最初読んだ時は号泣した。漫画のような寓話のような、伊坂幸太郎氏にしか描けない世界観に熱中もした。2009年、新潮社から漫画化もされている。
まとめ
伊坂幸太郎氏のすごいところは小説として物凄く完成度が高いのに、普段小説を読まない人まで読者にしてしまうというところだと思う。20周年を迎えた新作『逆ソクラテス』も、衰えるどころか、読んでるうちにもう何度も涙腺がゆるんだ。言葉ではうまく説明できないのだが〝気持ちいい〟のだ。今回改めて思ったが、この人の作品を読んでいると人生とは報われる、報われていいのだ、と思わされてしまうから、こんなにもトリコになっているのかもしれない。